■■■ スタッフコラム ■■■

このページは「ぴんぐ」のスタッフが日々思っていること、伝えたいことを コラムにして、掲載していきます。「ぴんぐ」スタッフの個性を垣間見ることが できるかもしれません。

<仲尾聖子>


今ではもう、遊ぶ元気はなくなったが、二人目が生まれるまでは、寝る間を惜しんで仕事も家庭も、遊びもするという、すこぶる元気でパワー全開の頃が私にもあった。職場では、朝まで騒いでも、次の日は「さわやか〜」に仕事をするのがあたり前で「今日は二日酔いで・・」などと愚痴れば・・・「だっさぁ〜」と面と向かって言われる。また出産後も産休を明けたら大半が復帰してくる。どう見ても顔色が悪く調子が悪そうでも「昨日は夜泣きで寝れなかった・・」などと泣き言をいう者はいない。熱い人「根性と負けず嫌い」の集まりだった。

職場では周期的に、ブームが到来する。「ゴルフ」「スキー」といろいろあったが、一番思い出に残っているのは「自転車」だ。40代を筆頭に10人あまりのサイクリングチームができていた。「聖ちゃんも楽しいけん。いこ〜でぇ〜」と何度か誘われたが「バイクならともかく、自転車は勘弁」とカッコつけていた。しかしだんだんと盛り上がる楽しそうな話につられ、とうとう派手な「マウンテンバイク」を買ってしまったのだ。買ったら早速乗りたくなるのが心情というもの、最初から参加していなかったので、無謀だとは思ったが、次の機会まで、私は待てない!早く乗りたい!私の「サイクリングデビュー」は「大洲」だった。

体力に自信があるわけでも、体育会系でもない、ただのミーハーな私は、松山に集合した時点で疲れていた。そして伊予市、中村からの山越えでは、ひとり不機嫌モードに突入する・・・さらに、長浜の永遠に続く向かい風の海岸通り、肱川沿いの上りでは、励ましてくれる相手に「もぉ〜!話すと疲れるけん、私に話しかけんといてぇ〜!」と叫んでいたらしい(笑)。皆にどんどんとおい抜かれ、先頭は見えなくなっていく。原因は体力もだが、自転車にもあった「マウンテンバイク」はタイヤが太くガタガタ道には最適だが、平地をこぐにはかなり重い、先頭チームの自転車はタイヤが細い「クロスロード」、競輪選手が乗っているような軽〜い、シンプルな自転車ではないか・・・。そ、そういえば、最近は皆、通勤はママチャリに変えたといっていたよぉ〜な?!。しかも、なぜかサドルを一番低〜く下げ、妙な姿で乗ってたなぁ〜って、いや〜んあれって、密かに日々鍛えよったんや〜ぁ。死に物狂いの中、いろいろな念が頭をよぎる・・・人の話はちゃんと聞いておくべきだ。

結局大洲に到着はしたが、極度の疲労の為、思考能力は停止していたのであろう、記憶がない、夕方松山で解散した私はさらに1時間の北条の道のりをひとり帰っていった。10時間も自転車をこぎ続けた為に、おしりの皮はむげ・・・家に着いたとたん嘔吐していた。私の無残な「デビュー」はみんなの笑いのネタとなり、ルーキーには「心強い話」と語りつがれることとなった・・・。

その後、私は通勤をマウンテンバイクにかえた。北条からなので、いったん友達の家でシャワーを浴びてから出勤するという迷惑なことまでやっていた。サイクリングチームは女ばかり、紫外線対策は完璧でみな恐ろしいほどの白塗り、耳の後ろまで日焼け止めとファンデーションを塗っているのも笑える・・。

そして究極は湯布院だった。この頃、ナオミキャンベルや山口智子、筋肉質の女性が話題となり。上半身を鍛える為にさらにダンベル体操までもがブームとなった。ナイスバティになったあかつきには、披露するために、中島のトライアスロンに出よかしらん・・などと冗談半分で盛り上がったりしたものだ。私の30代前半「ハンサムウーマン」達との楽しい思い出だ。


第七回目コラム「職業訓練校」
第六回目コラム「かわら」
第五回目コラム「いよかん」
第四回目コラム「英会話」
第三回目コラム「まつやま散歩道」
第二回目コラム「坊っちゃん列車の走った頃」
第一回目コラム「おえかき」




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