松山市男女共同参画推進財団主催
人材養成基礎コース「6月〜」
ステップアップコース「9月〜」

第一回「女性の身体とジェンダー」
第二回「教育の中の見えないジェンダー」
第三回「日本経済における日本型企業経済の意義と限界」
第四回「世界の取り組みと日本の女性の状況」



第1回「女性の身体とジェンダー」

現代の女性は、自分の身体を自分のものとして感じる事が難しい社会に生きているのではないだろうか。講座を受けて、「女性の身体」は文化的・歴史的にずいぶん歪められてきたという現実を知りました。

女性の身体は、男性の性的欲求を満たすための対象として、あるいは子どもを産み、育てるための身体であるという形で、「自分以外の他者のための身体」という扱い方をされてきました。たとえば男性読者を対象とし、女性のヌードや性を売り物にする週刊誌の広告が電車の中に吊るされているのを、皆当然と受け止めています。このことだけをとっても女性の身体が性的対象として扱われているのではないだろうか。同時に「子どもを産むための身体」として、女性は子どもを産むことが当然のように要求されます。子どもを産むか産まないかは人それぞれが選択することなのに、「結婚したら子供をつくる」という価値観はいまだに世間の常識の大部分を占めています。

「美の基準」とはいったいなんだろう。マスメディアを通して「美しい容姿になったら幸せになれる」というメッセージが氾濫している現実があります。またその「美しさ」の基準のなかに「痩せる」ことが大きな位置を占めています。こういう価値観、美の基準はほとんどが男性社会のマスコミやファッション関係が作ってきたものではないだろうか。男性の視点での価値観がマスメディアを通して繰り返し流されるうちに、女性の意識に内面化され、他人がつくった物差しなのに、自分の物差しで計っているかのように思わされています。そして、その物差しに当てはまらなかった自分はだめだ、おかしいんだと悩んでいる人もいたりします。ほんとうの「自分らしさ」が、知らず知らずに否定されてしまっています。

講座を受けて以前「摂食障害の女性」をとりあげた番組を思い出しました。「摂食障害の男性」というのはあまり聞いた事がありません。自立を模索していく思春期以降に「自分らしい」生き方をイメージするのが難しくなり、自分が人格的にも欠陥があるからと摂食障害になった人。ほんとうは社会の基準や価値観に問題があるのだけれど、「個人の問題」だと悩んでいる人。また、拒食の人が食べられるようになった、過食の食べ吐きをしなくなったということだけでは回復とは言えず、自分は自分でいいんだと自分を受け入れ、自分が大切な存在なのだという自己尊重感がもてること。そして自分らしい生き方を選択して生きていけること。精神面での自立がほんとうの意味での回復につながっているようでした。女性たちは皆、摂食障害の人たちと同じ社会のしくみのなかで生きています。摂食障害になるかならないかは紙一重の違いでしかないと思います。

私は年齢や体型に関係なく、「背筋の伸びた人」にあこがれています。これは私の価値観ですが、姿勢の良い人をみると「凛とした強さや内面の美しさ」を感じます。私にとっては「背筋を伸ばす」ことは常に意識していないとできません。普段「だらり」としている方が楽だからです。しかし街で背筋の伸びた姿勢の良い人とすれ違うと、思わず「しゃん」と背筋を伸ばし、しっかり前を向いて歩きだします。

私の自論ですが、これからもっと背筋の伸びた女性が増えると社会も変わってくるのではないだろうか。


第2回「教育の中の見えないジェンダー」
講座を何回か受けるにつれ、社会に根強く残っている「ジェンダー」。今まで不思議とも思わなかったことに気づき意識を変えることの難しさを実感しています。

私には小学生の娘がいます。学校参観の中でも「人権問題」について子供達に考えさせたり、男らしさ、女らしさについて発表しあったりと工夫をされていました。しかしどこか本質的でない気がいつもしていました。それは親である私の認識不足、勉強不足だったことが原因です。娘達の時代には個人がしっかりと自立し、差別のレベルを変えていかなければ行けないと思っています。

女性は体の構造が子どもを産むように出来ています。これは性。だから女性は家庭で子どもを産み育て、皆の面倒を見るべきだ。これはジェンダー。そして女性が外で働いているのだから、低賃金で当然だとなるとこれは性差別です。本来性には価値的な優劣はないにもかかわらず、どちらかの性に一方的に何かをしなきゃいけないという場合に体の構造を持ち出すのは、社会的な優劣をつけようとする発想だと思います。

しかし、この社会の歪みを大きく変えようとすると、既得権を持つ側(大半が男性)の抵抗は強いものになります。しかし、このままだと社会はうまく機能しなくなってきます。現状の問題の一つには少子化が上げられます。少子化の原因は晩婚化、婚姻率の低下・出産数の低下です。女性は男性と同じように教育を受け教養を身につけます。しかし、結婚し子供を産み育てるとなると、女性の負担は男性以上に増え、自分らしく生きることが困難になります。ジェンダー・バイアスを崩す政策と女性の負担を軽くする政策を一緒にやらなければ出生率向上にはつながりません。少子化が進み困るのは、自分の身の回りのことができない男性達です。二つ目は家庭の崩壊です。原因は夫が家庭にいる時間が少ない、残業や単身赴任が企業の裁量で当たり前だということです。夫が家庭参加し協力しあうことで生活が保障される社会でなければ意味はありません。

考えていくと問題なのは、さまざまなところで色々なジェンダー・バイアスがかかっていることです。例えば道徳の中に組み込まれている因習や社会的慣行は、皆が無意識のうちにやっています。それを直すには、まず自分達が無意識だった事柄に随分縛られているということをお互いに発見していくこと、そこに気づいて意識的になっていくこと、また、男女両性で話ができるようになることが必要です。難しいことですが、お互いの人格攻撃をしない形でできることが問題解決の近道になると思います。

今私ができることは、パートナーや子どもたちの意識改革です。しかし、家庭が機能を果たせるようにサポートをする面は、自治体や国レベルまで行かざるをえないように思います。

現在小中学校では「ゆとり教育」という政策で土日がお休みになりました。しかし、社会の受け皿が整っていないのに、実施を急がないといけないことだったのか疑問が残ります。昔は地域が支えてくれましたが、近代化に伴って地域は崩壊しています。

家庭では補い切れなくなっている部分を社会が負担して支える機能を用意しなければ子どもを安心して育てる事ができません。私達のハンディの部分を保障していける社会体制が必要です。皆で支えることが色々な所で出来れば、近代化の過程で崩壊した地域や人のつながりの再構成が期待できます。そして、「ゆとり教育」も充実したものになり、子供達も親達も健全に育っていくと思います。


第三回「日本経済における日本型企業社会の意義と限界」 

今回の講座を受け、日本型企業社会の時代背景を学ことができ、自分に出来る事、やらなければいけない事は何だろう、改めて考えさせられました。

日本は戦後、高度経済成長を遂げ、技術立国となり地価や物価、名目賃金は世界で最高水準に達しました。しかし、中国をはじめとするアジア各国も技術力をつけ、国際競争の時代に突入し、花形だったIT産業もこの一年で世界的に不況に転じました。国際競争の激化と生産拠点の海外移転が雇用の場を狭め、結局伸びる分野に殺到して食いつぶしてしまう。その結果、市場競争による大量生産、大量消費、大量廃棄が地球環境を汚してしまい、全くもって日本経済の限界です。

私は構造改革には賛成です。しかし改革後産業から放り出された人々を、人手の足りない産業や成長の見込める産業へ転身しなければなりません。離職者・失業者の生活を支えるために、国や県はセーフティーネットの施策を講じる計画ですが果たして今までの日本型経済社会の中で「モノ・金・人」でしか物事を考えない人達に実現が可能なことなのだろうか?私は疑問に思います。

雇用保険の失業給付や離職者・失業者の教育訓練の充実。失業給付期間の延長等。産業や雇用の構造が大きく変わろうとする今、恒久的な雇用の場づくりが最大の課題として突きつけられていると思います。

また一方でワークシェアリングの実現。一九八〇年代に欧州各国で実験的に導入され、オランダがパートとフルタイム労働者の地位の平等化や解雇規制法によって唯一、大幅な雇用創出を実現できました。しかし、日本で果たして実現が可能だろうか?すでに賃金水準が低くなりローンの支払い、子供の教育費がかかる現在、妻は配偶者控除や配偶者手当を受け、年収百三万円の壁を意識してパート収入と合わせて家計を支えている現状。これらを廃止し、夫婦合わせて収入を確保できるなら、ワークシェアリングも現実味を帯びてくるのではないでしょうか。これにはやはり男女共同参画、ジェンダーフリーが不可欠です。また、女性も自立の為の努力をしなければなりません。

近年、派遣、アルバイト、パートなど流動的な労働者が増えています。この形態は人をモノとして扱っているように私は感じます。与えられた仕事をこなしてくれさえすれば、変わりはいくらでもいる。そうなってくると雇用される側は仕事に対しての意欲や責任を持てなくなります。仕事とは、お互いが協力し合い成果を上げたり、人間関係で認められたり、人を育てるということにやりがいを感じるものだと思うのですが、今の企業はそんな余裕すらないように思います。

かつてない失業時代を迎え、労使それぞれに不況を生き抜くための知恵が問われています。「自分さえ生活が安定して失業しなければ」というのではなく、みんなが痛みを分かち合うための雇用・就業構造のあり方を真剣に論議して欲しいです。

私はこの秋IT普及を目的としたNPO法人を立ち上げました。きっかけは昨年からのIT講習などにインストラクターとして参加し、行政や民間企業の委託事業のあり方に疑問を持ったからです。行政は入札で安く民間企業に委託したらそれで終わり、民間企業はIT講習をする目的や成果などにはまったく無関心、いかに安く実施するかという事しか考えていないように思えました。多様化する一般市民からの要望や需要をふまえ今後の対応策を考えなかった結果が今のIT不況を招いているのだと私は思います。

NPOは一般的に、個別の活動だけを見れば範囲は限られているかも知れませんが、小回りが効き機動性に勝る活動をしていけると思います。活動全体として見れば、行政の対応が難しい分野をカバーしつつ、行政とともに公益を担っていく可能性を持っていると考えています。今後期待されるNPO法人として、頑張っていきたいと思います。

第4回「世界の取り組みと日本の女性の状況」

私は現在38歳、2人の女児と主人と4人家族です。生活の為といってしまえばそれまでですが、2人目が生まれるまでずっと正社員として働いてきました。出産後は専門学校でコンピュータの勉強をし、フリーのインストラクターに、そしてこの秋は仲間と共にIT普及の為のNPOを立ち上げました。

自分の長所としては行動的、しかし石橋を叩かず渡ってしまう為、回りを巻き込み、途中で危ないと気づく事も多々あります。

1人目の出産を前に、この際自然の多い(土地の安い)少しでも実家(今治)に近い北条に家を買おう、と安易に北条市民になったのが、運のつき。産休を終え、いざ働こうと思うと、近所に実家がある訳ではなく、松山で仕事をしている北条市民は、延長保育のある松山市保育園へ子供を預ける事はできません。なんと何年間前までは北条市の保育園は「平日夕方5時・土曜12時お迎え」が通常だったのです。これではパートか自営業(農家)しか預けられないではないか!パート収入では保育料も家のローンも払えないし、このままの状況では住宅地は増えても北条市は発展しない!と随分市役所で憤慨したものでした。

それでも仕事を続けられたのは主人の協力と今治の両親の協力があったからです。しかし、古い考え方の父親には「小さな自分の子供を親に預け、夫に家事手伝、子守りまでさせて、なぜ自分はいつも好き勝手な事ばかりしているのか」と随分批判をされてきました。今でも父とは意見があわず、話出せば何時間でもバトルは続き、母親に「とりあえず、合わせときなさい」と小言をいわれながらも、一方通行のコミュニケーションは今も続いています。しかしさすがに10年も経つと、相変わらす自分の考えは譲ろうとはしない父ですが、時代の流れとともに私の生き方も少しは認めてくれているのではないかと感じています。

「男女共同参画社会」という言葉を知ったのはつい最近です。私の世代から今の若者にかけては、まだまだ、問題はあるかもしれませんが、一定の男女の平等意識は育まれてきているのでないでしょうか。それは歴史の積み重ねと教育においての成果が少しずつですが現れているのではないかと思っています。

あとは「日本型企業社会」で生きてきた世代の意識改革です。「男が軟弱になり、女が強くなった」と嘆くのではなく、「お互いが自立していくのだ」と意識を変えていくのは、私と父のように根気よく、対話を続けていかなければ、理解者を広げていくことはできません。対話によって互いを知る事ができ、そこから相手の立場や状況、課程を学び、自分の考えをわかってもらえるよう言葉で他者に伝えるということが、社会を変えていくと思います。

また、バリアフリーの整備が市民の意識を高める、という話があります。名古屋のJR高島屋では男子トイレの個室内にベビーキーパーがあるそうです。「アレッ? 何これ?」と思いながら、「なるほど、そういうことだったのか」と男女共同参画の考え方を小さなトイレの中で学んでいくことは、とても素敵なことだと思います。だんだんと多くの人が小さな事実に気づいていけば、社会は変わっていくと思います。

講座を受けて、自分の生き方や考え方が強引で主人や子供、両親を随分巻き込んでいたかも知らないという反省と、自分の生き方もそれはそれでよかったのかも、と少し自信がもてた事に感謝しています。ありがとうございました。


 ジェンダーとは


ジェンダーとは、社会的・文化的性差や、女らしさ・男らしさのことです。
私たちは、これまで、こうした性差や女らしさ・男らしさは、生まれながらのものであると思っていました。しかし、近年、これらはむしろ社会的・文化的につくられたものであることがわかってきました。そこで、「女性と男性は、生まれながらに性質が異なるんだ」という考え方(性別特性論)をやめようと、ジェンダーということばが使われるようになりました。ジェンダーは、あたりまえのことのように、私たちの意識や生活の中にとけ込んでいて、気づきにくいものです。ですから、私たちは、知らず知らずのうちに、ジェンダーにしばられたものの見方や、言動をしています。ジェンダー・フリーな社会をめざすために、私たちの意識や生活のなかに組み込まれいるジェンダーに敏感に気づいて、なくしていく必要があります。

女性の参画状況の国際比較

UNDP(国連開発計画)が開発した人間開発に関する指標注)について我が国の順位付けをみると、HDIについては世界第7位、GDIについては第12位となっているが、GEMについて第34位まで後退する (図1)。

注: (1) ()内は各指数・測定についての日本の順位。
(2) HDI,GDI,GEM,の日本の順位は、それぞれの測定可能な175ヶ国中、146ヶ国中、94ヶ国中のものである。
資料出所: UNDP(国連開発計画)「人間開発報告書」(1997年)

HDI人間開発指数(Human Development Index)
基本的な人間の能力が平均どこまで伸びたかを測るもので、その基礎となる「長寿を全うできる健康な生活」、「知識」及び「人並みの生活水準」の3つの側面の達成度の複合指数である。具体的には、平均寿命、教育水準(成人識字率と就学率)、国民所得を用いて算出している。
なお、HDIは、国民全体の平均的な状況を表すもので、社会の様々なグループ間の配分の不平等については考慮されていない。

GDIジェンダー(注)開発指数(Gender-Related Development Index)
HDIと同じく基本的能力の達成度を測定するものであるが、その際、女性と男性の間で見られる達成度の不平等に注目したもの。
HDIと同様に平均寿命、教育水準、国民所得を用いつつ、これらにおける男女間格差をペナルティーとして割り引くことにより算出しており、「ジェンダーの不平等を調整したHDI」と位置づけることができる。
(注)「ジェンダー」とは社会的・文化的に形成された性別。生物学的な性別であるセックスと区別して用いられる。

GEMジェンダー・エンパワーメント(注)測定(Gender Empowerment Measure)
女性が積極的に経済界や政治生活に参加し、意思決定に参加できるかどうかを測るものHDI,GDIが能力の拡大に焦点を当てているのに対して、GEMは、そのような能力を活用し、人生のあらゆる機会を活用できるかどうかに焦点を当てている。
具体的には、女性の稼動所得割合、専門職・技術職・管理職に占める女性の割合、国会議員に占める女性の割合を用いて算出している。
(注)「エンパワーメント」とは「力をつけること」の意。具体的には、自ら意識と能力を高め、政治的、経済的、社会的及び文化的に力をもった存在となることを意味している。

・ GEMの構成要素である、行政職・管理職に占める女性の割合及び国会議員に占める女性の割合について、GEM上位50国の状況をみると、GEMの順位で我が国よりも後位であったマレーシア、ドミニカ共和国、ジンバブエ等の国々も、我が国を上回っていることがわかる(図2)。

図2 各国のGEM構成要素(「国会の議席数に占める女性の割合」と
「行政職・管理職に占める女性の割合」)の状況

注: (1) ()内の数値はGEM順位。
(2) GEM順位上位50国について掲載。
(3) 国会の議席数に占める女性の割合は1997年1月1日現在のもの。行政職・管理職に占める女性の割合はUNDPにおいて資料作成時に入手可能であった最新年度のもの。
資料出所 UNDP(国連開発計画)「人間開発報告書」(1997)

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